MENU

創業者の言葉

遅咲き

2014年11月04日

本日は遅咲きということについて話したいと思います。

世の中には早く才能を発揮する人もいます。
10代・20代のオリンピック選手やプロゴルファー、30代で起業し有名
になっている人もいます。
一方50代60代から有名になる監督・指導者や起業して成功する人もいます。

人間の成功とは何かは分かりませんし早く成功したから良いというものでも
ありません。
勿論遅く成功したから良いというものでもありませんが、その人がどういう
人生を辿ってきたかについては皆さん興味があるのではないかと思います。

遅咲きな方の例を挙げてみましょう。

典型的な例はマクドナルド・コーポレーションの創業者であるレイ・クロック。
彼は生まれたのは1902年で亡くなったのが1984年。
チェコ系の両親のもとイリノイ州に生まれました。

高校中退後15歳で第一次世界大戦の召集を受け衛生隊に所属。
同じ隊にはウォルト・ディズニーもいました。

終戦後職業を転々とし失敗に失敗を重ねた後、1955年に52歳でマクドナルド兄弟の
考案した調理システムに興味を持ちマクドナルドのフランチャイズを作りました。
そこからマクドナルドシステム社を設立し1965年に株式公開します。
1984年までに世界34か国でで8300店舗を達成。
生涯で5億ドルの富を築きました。
プロ野球ではサンディエゴパドレスのオーナーに就任しています。

殆ど学歴も無く転職に転職を重ね失敗に失敗を重ねてやっと52歳で小さな
マクドナルドに辿り着いた彼は30年でマクドナルドを世界企業に育て上げた
のです。

もう一人はケンタッキー・フライド・チキンのカーネルサンダース。
1890年に生まれ1980年に亡くなっています。
彼がフランチャイズビジネスを始めたのが65歳。
それまで失敗に失敗を重ねました。

彼はケンタッキー州で生まれました。
学校は14歳で辞めて農場などで働き16歳の時に年齢を詐称し軍隊に入ります。
除隊した後は職業を渡り歩きおよそ40種類の職業を転々とし30代後半で
ケンタッキー州に戻りました。
そこでガソリンスタンドを経営したのですが大恐慌で倒産の憂き目に遭います。

1930年に再びガソリンスタンドを始めその一角でサンダースカフェという
レストランを始めました。
その目玉商品がフライドチキンでした。
1939年に圧力釜を用いたオリジナルフライドチキンを作ります。
それからビジネスモデルとしてのフランチャイズを始めました。
1960年には米国とカナダに400店舗、1964年までに600店舗を超える
フランチャイズ網を築き上げたのです。

サンダースは1970年に日本に初めてフライドチキンの支店を出しました。
彼は日本を3度訪れています。
ロータリークラブやフリーメイソンのメンバーでもあり寄付等の慈善活動でも
多大な貢献をした方でもありました。

日本では松本清張が有名です。
彼は著名な小説家の中では遅咲きです。
彼の学歴は小学校卒業です。
印刷所でイラストなどを描いていましたが芸術的な面で才能を発揮し
『或る『小倉日記』伝』で芥川賞を受賞します。
42歳から80歳まで何百冊と書きまくり死の直前まで長編小説を書いていました。

私は苦労してぺちゃんこにされて尚再起する人に親近感を覚えます。
反対に若い頃に成功している人が好きではないのですがこれは私自身が遅咲きで
そうした人に劣等感を抱いている故でしょう。

遅咲きの成功者5つの共通点というものがあります。

1.仰ぎ見る師匠がいる

2.怒涛の仕事量

3.敵と切磋、友と琢磨する

4.修養鍛錬研鑽を生涯怠らない

5.飛躍する構想力が豊かである

私は特に5番目に着目します。
構想力が豊かでなければトップには立てないし一流の人にはなれません。

日々の戦い・日々の業務だけでなく将来どういう風になるのかを構想することが
重要です。
10年後の自分・会社・家庭。それ等についてある程度リアリティを持って
映像化する。どうなっているかを考えるのです。
そういう構想力を持っていると例え酷い目に遭ってもまた再起出来るのです。

失敗したり上手く行かないことがあっても人生を悲観したり諦めたりするのではなく
将来の構想を持ち仕事に打ち込む事で成功へと繋げて頂きたいと思います。

創業者
西川三郎

ジャパニアス株式会社の創業者、西川三郎が送る”創業者語録”
1948年愛媛県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業し、大手生命保険会社に入社。
その後、中堅エンジニアリング会社を経て、1999年にジャパニアス株式会社を創業。